secondfiddle@人柱日記

ま、パソコンと車とカメラとそれから・・・・・・

年末のSecondFiddle家は慌ただしかった

チワワの呟き

以前にも申し上げたが吾が輩はチワワ種族の犬である。ありふれた名前なので名乗るほどではない。
人間で言う所の年末年始。いつもなら「散歩に行かせろ」「抱っこしろ」と要求するとかなうことが多かったが、去年の暮れはとうちゃんかあちゃんにとってはなんとなく慌ただしい雰囲気であった。
人間の言葉は理解しがたい。
だが、要求しがたい雰囲気があった。何故ならいつもは朝早く出かけていって夜遅く帰ってくるとうちゃんが、ずっといる。
毎年この時期、クリスマスとやらが来るとお裾分けがある楽しい時期だが、今回は全くない。
9年も生きているがこの様なことは全く経験したことがない。何かおかしい。何かおかしいが、なぜだか分からぬ。
そうこうしているうちに黒い服をまとったおとうちゃんおかあちゃんがいる。モノクロでしか分からない吾が輩であるが、はっきりと黒服を身にまとっているのが分かった。
「留守番を頼むな」
とうちゃんお言葉に、留守番か……吾が輩は気落ちした。
二人とも出かけると一向に帰宅する雰囲気がない。

いつ帰ってくるのだ? 吾が輩は捨てられたのか?

吾が輩は不安に駆られ心細く待っていたがかなりの深夜帰ってきた。
やっと帰ってきた。吾が輩は帰宅した二人をしっぽを千切れんばかりに振って喜びを表したがどうも雰囲気が違う。
ぼそぼそと話し合う二人を見ているとどうやら何かあったらしい。
とうちゃんが言う。
「明日も留守番を頼むな」
9年も生きていると長い言葉は分からぬが「留守番」と言うのは分かる。あまり嬉しい響きではない。
何があるというのだ?
思い起こしてみるととうちゃんの母ちゃんが見あたらない。吾が輩をとうちゃんとかあちゃんの「子供」とするならば「お婆ちゃん」が見あたらないのである。「お婆ちゃん」に抱かれたり叩かれたり煎餅なるものをくれたりしたあのお婆ちゃんが見あたらないのである。
そう思うとお婆ちゃんと桜を見に行ったりしたこともあったな。それはそれで楽しい事でもあったが。
昨年の大晦日、と言うのであろうか昼間から出かけた二人が何やら抱えて帰宅した。
未だ日が高いのでてっきり「散歩」という言葉を期待して吾が輩は歓迎の印として尻尾を振った。
しかしそんな気配は全くない。吾が輩は尻尾を下げた。
とうちゃんが言う。
「お前のお婆ちゃんが骨になって帰ってきたよ」
ここで吾が輩は悟った。
吾が輩を愛してくれた「お婆ちゃん」はこの世からいなくなったのだ。




我が母はクリスマスの日に天に召され大晦日に旅だちました。
施設で朝食と昼食そしておやつを食べた後、誰にも悟られることなくひっそりと旅立ちました。
これは母の美意識なのでしょうか。
全くの偶然か、意志なのか。全く分かりません。
思えば長崎にて七夕に生まれクリスマスに亡くなったというのは出来すぎている感じが致します。
世間ではクリスマスというと楽しい雰囲気があるのでしょうが当SecondFiddle家においてはクリスマスには母のお墓に手を合わすことでしょう。
そして四十九日が令和2年2月2日です。
こうなれば出来すぎでございましょう。