secondfiddle@人柱日記

ま、いろんなことを記事にしてまっせ

自家用車に関する雑感

MT車完全消滅の巻

しかし何だろうね、幹事長時代は有無を言わせないような睨みを効かせていたのに、首相になった途端、気弱になった気がしないでもありません。てか今までのルーティンが効かなくなったのでございましょう。
歯止めのかからないコロナ禍ご時世ですから、与党からでも野党からでも誰が首相になってもばばを引くには違いありません。大変な時代だと思いますよ。
東京オリンピックだって怪しいものです。
コロナを封じ込めるには今の法律では生ぬるい。完全にシャットダウン、外出の自粛、ではなく強制を行うべきでしょう。最低限の食料品に医療品、交通機関などに絞り『ほしがりません勝つまでは』の精神でいかなとなりませんな(ありゃ、戦前の話か)。
この猛威を振るうコロナというのはある意味世界戦争かも。
でもまあ短期間の我慢で徹底的に封じ込める作戦、ですが、これまでも我慢を強いられているわけですから、気が緩むのも仕方ないかもしれません。
かつて心理学者多湖輝先生の著書に『最初のショックよりもさらに上を行くような衝撃を与えないと人々は関知し得ない』という記述を見た記憶があります。つまりコロナ禍において最初の対策よりももっと強力な方策をしないと、人々は従わない、と。

明治時代では我が日本の総人口は5,000万人を下回っていたと聞きます。それが敗戦後、あれよあれよと1億人を突破です。
それだけ豊かになった証拠、と言えばそうでしょうが、さらに今では総人口が減る一方と言うじゃありませんか。
しかしながら5千万人でも社会がまわっていた? 
時代が違うから何とも言えませんが、今の我が日本では確実に労働生産性が低下し、社会保障の面でも不利になることは間違いないでしょう。
また、テレワークの効果で東京一極集中が改善されるのではないか、と言う期待感もあります。

等と愚痴っていてもしょうがないこと。

何しろグローバルだかなんだか分からないけれど、新型車が出る度に大型化しているような気配がありますね。世界戦略、と言う名の下日本を蔑ろにしていないのではないか、と言う気持ちが沸々と湧き上がります。
自家用車なりなんなりが大型化すると、タダでさえ道の狭い我が日本、すれ違いも儘なりませんね。つい先日も狭い道にもかかわらず、大型のワゴン車にすれ違いました。向こうは大型、こっちは軽自動車、勝負になりませんや、旦那。
擦るんではないかという恐怖と闘いながら、サイドミラーを強制的に畳み何とかやり過ごしました。
欧米諸国と違い道幅が狭い日本ですから、大型化してどうするんだろう、ッてなもん。
話によりますと中世の欧米では馬車が主流と言うことを聞きました。馬車が闊歩するだけの道幅が必要だったわけでして、必然的に道幅は広がった、と。
振り返ってみると我が日本は、せいぜい牛車程度で徒歩が多かった。つまり道幅も人々がすれ違えるだけの幅さえあれば良かった、と。
ここに道路行政の考え方があり、大型化を相容れない庶民の風情が現れているような気がします。
ハイトワゴンの軽自動車、かなり売れています。小型自家用車も売れています。なので、日本の各自動車生産会社はもっと日本市場を大切にしろ。そしてMT車をもっと増やせ。MT車は頭の体操だ。
AT車は全くもってイージーに走られることが出来ますが、その簡単動作が誰がどう考えたって、アクセルとブレーキを間違えたとかの事故に繋がるのは明白でございましょう。
その点MT車は操作が面倒。間違えればエンスト。その操作の面倒さが頭の体操となります。右足一本で操作できるAT車に比べ、左腕と両足を使い車を制御しなければなりません。これが頭の体操となり「認知操作判断」の材料となり得ます。

とは申し上げましても世の中、電動車の嵐の真っ最中。さらに完全自動化運転も着々と進行しております。つまり手放し運転や運転手不在でもオートマチックで目的地まで運んでくれるのも夢じゃありません。
万が一と言うこともありますので免許は必須でしょうが、ともすれば免許返上が無くなる? かもしれませんや、旦那。

そうなってくるとMT車の存在自体が消滅するでしょう、きっと。完全自動化においてMT車は厄介な代物になります。面倒なギアチェンジを電動車はするのでしょうか?
電動車に搭載された半導体が、道路状況によりギアチェンジをアップしたりダウンしたり、することは無いでしょうし、第一意味が無い。無段階変速でアップダウン、これでしょう。
つまり近い将来、残念ながらMT車は『生産されなくなる』。
今のうちに楽しむだけ楽しむ、と言う刹那的な考えで行かなければなりませんかね。